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日々の移ろいを愁いを・・・・・
ブログをご覧の皆さんこんにちは。
この度、勝手ながら「日々の移ろいを愁いを感じる者」を休まさせていただきます。
管理者である私、kisaragi.dの自分勝手な事情によるものです。
このブログをご覧になっている皆さん、誠に申し訳ございますが、この私の自分勝手な事情をお許しください。
いつの日か、このブログで皆様と会える日を楽しみにしております。
短い間ありがとうございました。またいつの日か
この度、勝手ながら「日々の移ろいを愁いを感じる者」を休まさせていただきます。
管理者である私、kisaragi.dの自分勝手な事情によるものです。
このブログをご覧になっている皆さん、誠に申し訳ございますが、この私の自分勝手な事情をお許しください。
いつの日か、このブログで皆様と会える日を楽しみにしております。
短い間ありがとうございました。またいつの日か
卒業式の季節ですね
こんにちはブログをご覧の皆さん。
さて、2月もあと1週間くらいしかありません。2月が終れば3月になります。
そして、冬から春へと季節が変わっていきます。この季節の流れに、私は愁いを感じます。
さて、冬から春に変わろうとする時期に、学生だけしかないイベントがありましたね。
それは、卒業式です。私は専門学校の2年生である為、今年の4月から社会人です。
つまり、学生気分が終るということです。何だか寂しい気分になりますが、しょうがないですね。
「始まりは終わりであり、終わりは始まりである」と、どこかで聞いたか誰かから聴いた覚えがあります。
ここにも私は愁いを感じます。人は生きていけばその度に愁いを感じるのでしょうか?
この問いは答えがあるのでしょうか・・・・・いえ、たぶん無いのでしょうね。
どこかで聴いたことがあるのですが、「人生に明確な答えは無い」という言葉がある。
つまり、その答えは自分の目で耳で、見つけなければならない。
人生は本当に難義ですね。
以上、今日のお話でした。
ブログをご覧の皆さんは、人生をどう思いますか?
さて、2月もあと1週間くらいしかありません。2月が終れば3月になります。
そして、冬から春へと季節が変わっていきます。この季節の流れに、私は愁いを感じます。
さて、冬から春に変わろうとする時期に、学生だけしかないイベントがありましたね。
それは、卒業式です。私は専門学校の2年生である為、今年の4月から社会人です。
つまり、学生気分が終るということです。何だか寂しい気分になりますが、しょうがないですね。
「始まりは終わりであり、終わりは始まりである」と、どこかで聞いたか誰かから聴いた覚えがあります。
ここにも私は愁いを感じます。人は生きていけばその度に愁いを感じるのでしょうか?
この問いは答えがあるのでしょうか・・・・・いえ、たぶん無いのでしょうね。
どこかで聴いたことがあるのですが、「人生に明確な答えは無い」という言葉がある。
つまり、その答えは自分の目で耳で、見つけなければならない。
人生は本当に難義ですね。
以上、今日のお話でした。
ブログをご覧の皆さんは、人生をどう思いますか?
史上初 黒人演歌歌手ジェロ
こんにちはブログをご覧の皆さん。
本日は、この前このブログで紹介していた黒人演歌歌手ジェロさんの紹介パート2です。
前回紹介しましたが、改めてジェロさんを紹介させていただきます。
1981年9月4日生まれ
アメリカ・ペンシルバニア州ピッツバーグ出身
ピッツバーグ大学情報科学科卒業
日本人である祖母の影響を受け、幼少より演歌を聴き始める。好きな歌手は美空ひばりさん
その、大好きな祖母を喜ばせる為に自分でも演歌を歌い始めるうちに、自分自身が演歌の虜となる。
その後、名門ピッツバーグ大学に進学し、情報科学(早く言えば、コンピュータエンジニア)を専攻。優秀な成績を収めた。
しかし、その一方で演歌の魅力にますますとりつかれ、ついに2003年、演歌歌手になる為に来日。来日して2ヵ月後にはNHKのど自慢に出場し、いきなり合格。
その後、コンピュータエンジニアとして仕事をしながら、各地のカラオケ大会やのど自慢大会で数々の優秀な成績を獲得し、彼の実力に目をつけたビクターエンタテインメントがスカウトした。
2年に及ぶボーカルトレーニングを経て、2008年2月シングル「海雪」でビクターエンタテインメントよりデビューした。
朝のニュースで見る限り、とても日本語が上手で、一瞬日本人かなと思えてしますほど彼の歌唱力と日本語の流暢さは素晴らしいといえる。また、日本の心といわれる演歌に魅了されたというジェロさんには脱帽ですね。
日本人よりも日本人に見えてしまうのは気のせいでしょうか?
さて、「演歌界の黒船」ジェロさんのデビュー曲『海雪』を遅まきながらご紹介させていただきます。
本当に歌うまいですよ。見かけたら、ぜひ買ってください、聴いてください。
最後に一言、ジェロさんのご活躍を祈っております。がんばってください。
私は歌にはあまり興味はないですが、ジェロさんの実力があると思っております。
今年のNHK紅白歌合戦であなたの勇姿を見たいと願っております。
本日は、この前このブログで紹介していた黒人演歌歌手ジェロさんの紹介パート2です。
前回紹介しましたが、改めてジェロさんを紹介させていただきます。
1981年9月4日生まれ
アメリカ・ペンシルバニア州ピッツバーグ出身
ピッツバーグ大学情報科学科卒業
日本人である祖母の影響を受け、幼少より演歌を聴き始める。好きな歌手は美空ひばりさん
その、大好きな祖母を喜ばせる為に自分でも演歌を歌い始めるうちに、自分自身が演歌の虜となる。
その後、名門ピッツバーグ大学に進学し、情報科学(早く言えば、コンピュータエンジニア)を専攻。優秀な成績を収めた。
しかし、その一方で演歌の魅力にますますとりつかれ、ついに2003年、演歌歌手になる為に来日。来日して2ヵ月後にはNHKのど自慢に出場し、いきなり合格。
その後、コンピュータエンジニアとして仕事をしながら、各地のカラオケ大会やのど自慢大会で数々の優秀な成績を獲得し、彼の実力に目をつけたビクターエンタテインメントがスカウトした。
2年に及ぶボーカルトレーニングを経て、2008年2月シングル「海雪」でビクターエンタテインメントよりデビューした。
朝のニュースで見る限り、とても日本語が上手で、一瞬日本人かなと思えてしますほど彼の歌唱力と日本語の流暢さは素晴らしいといえる。また、日本の心といわれる演歌に魅了されたというジェロさんには脱帽ですね。
日本人よりも日本人に見えてしまうのは気のせいでしょうか?
さて、「演歌界の黒船」ジェロさんのデビュー曲『海雪』を遅まきながらご紹介させていただきます。
本当に歌うまいですよ。見かけたら、ぜひ買ってください、聴いてください。
最後に一言、ジェロさんのご活躍を祈っております。がんばってください。
私は歌にはあまり興味はないですが、ジェロさんの実力があると思っております。
今年のNHK紅白歌合戦であなたの勇姿を見たいと願っております。
明かりを点けましょ〜
こんにちはブログをご覧の皆さん
いや〜2月も1週間ちょっとで終わりますね。私はすっかり忘れていました。
2月の次は当たり前ですが、3月ですね。3月のイベントといえば、ひな祭りとホワイトデーでしたね。
ひな祭りは女の子の健やかな成長を祈る行事。
つまり、子供が何事もなく元気に過ごせますようにという親心が表れる行事です。
私も子供がすくすくと元気に育つさまは微笑ましいと感じます。(※私には子供はおりません。)
さて、ひな祭りの記事を書きたいところですが、まだ3月3日ではない為、次回書くことにいたします。
しかし、ひな祭りとは関係ありませんが、一応書かせていただきます。「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の両津勘吉の誕生日は3月3日である。(この情報は結構ご存知の方が大勢いるので、たいした情報ではないが、ひな祭りに生まれなので)
では、3月3日は、ひな祭り特集を企画しております。どうぞ楽しみにしないでください。

いや〜2月も1週間ちょっとで終わりますね。私はすっかり忘れていました。
2月の次は当たり前ですが、3月ですね。3月のイベントといえば、ひな祭りとホワイトデーでしたね。
ひな祭りは女の子の健やかな成長を祈る行事。
つまり、子供が何事もなく元気に過ごせますようにという親心が表れる行事です。
私も子供がすくすくと元気に育つさまは微笑ましいと感じます。(※私には子供はおりません。)
さて、ひな祭りの記事を書きたいところですが、まだ3月3日ではない為、次回書くことにいたします。
しかし、ひな祭りとは関係ありませんが、一応書かせていただきます。「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の両津勘吉の誕生日は3月3日である。(この情報は結構ご存知の方が大勢いるので、たいした情報ではないが、ひな祭りに生まれなので)
では、3月3日は、ひな祭り特集を企画しております。どうぞ楽しみにしないでください。
日本の漫画・アニメ(パート2)
こんにちはブログのご覧の皆さん。
今回は、前回と引き続き日本の漫画とアニメについて考察したいと思います。
最初に調べなければならないのは、日本の漫画・アニメの歴史からである。
調査結果は↓の通りである。
滑稽な絵での漫画は平安時代の絵巻物「鳥獣人物戯画(鳥獣戯画)」が日本最古といわれている。(絵巻物は現代の漫画と繋がる部分があると聞く)
その後、印刷技術の発達と町人文化が生まれたことにより、江戸時代に戯画や浮世絵が生まれた。
幕末・明治では、1862年に、漫画雑誌の『ジャパン・パンチ』というものが横浜居留地(政府が外国人の居留及び交易区域として定めた一定地域のこと)で発行され、人気であった。この影響で日本の新聞も漫画を掲載するようになり始めた。、また、開国のより欧米の諷刺雑誌を入手できるようになり、これらを模倣することで日本の漫画は発展していった。
1877年には明治時代を代表する漫画誌『團團珍聞(まるまるちんぶん)』が創刊された。
日本初の連載漫画は、『團團珍聞』に連載された田口米作の『江の島鎌倉長短旅行』(1896年)で、特定のキャラクターによる一貫したストーリーを描いた最初の漫画である。
その後、日本漫画界には、北沢楽天、岡本一平などが現れ、日本漫画の発展や現代の日本の漫画に繋がる要素が作っていった。
1932年には、近藤日出造、横山隆一、杉浦幸雄ら二十代の若手漫画家が、「新漫画派集団」を結成した。彼らとその弟子は、第二次世界大戦後の漫画界の中核を成す存在となっていく。
1930年代には、講談社の『少年倶楽部』他の子供雑誌で連載された『のらくろ』『タンクタンクロー』『冒険ダン吉』などの子供向けの人気漫画が単行本化され、ベストセラーとなった。
また、新聞や雑誌で連載された主流漫画とは別に、赤本と呼ばれる漫画本も出てきた。これは、駄菓子屋やおもちゃ屋の店頭で販売されていた。(赤本の由来は、赤インクの多用のため)
しかし、日本が第二次世界大戦に参戦すると、情報局による規制や用紙不足により、日本の漫画産業は一時期衰退していった。
第二次世界大戦後に、手塚治虫が「新宝島」を発表した。この漫画は、映画的な構図と漫画固有の記号性を合わせ持った表現技法を定着させた。後に手塚の手法は日本漫画のデファクト・スタンダードとなっていった。
昭和50〜60年代に入ると漫画界が大きく動き出した。まずは、1959年、史上初の週刊漫画雑誌「週刊少年サンデー」・「週刊少年マガジン」が創刊し、1963年には「週刊少年キング」が、68年には「週刊少年ジャンプ」、69年に「週刊少年チャンピオン」が創刊、いわゆる少年誌5大誌時代に突入した。
一方で、1950年代、手塚治虫の影響を受けた多くの漫画家が現れた。1960年代は石森章太郎(仮面ライダーシリーズ・サイボーグ009)、赤塚不二夫(天才バカボン)、藤子不二雄(藤子・F・不二雄と藤子 不二雄Ⓐのことである)らの作品が大ヒットした。また、さいとう・たかを(ゴルゴ13の作者)の登場により、これまで子供の読み物とされてきた漫画に劇画など大人向けの作品が登場し、購買層の拡大につながっていった。
1980年代には、手塚治虫の「鉄腕アトム」などのアニメが海外で放送されていったことにより、日本の漫画が海外へ輸出されるようになった。
そして、平成に入ると、時代の変化に合わせて取り扱う漫画のジャンルも拡大し、発刊される雑誌も大幅に増えていき、情報雑誌と複合した漫画雑誌も生まれてきた。
また、同人誌や2次創作、ウェブコミック(ウェブ漫画、インターネット上で公開する漫画)の文化も発展し、メディアミックスの関係性も強くなっていった。
一方で、少子化や携帯電話の普及などにより、漫画に興味を持たない、読まない子供が増えた。これにより、古くから続いてきた雑誌が休刊になったり、表現の自由との関係性などの問題も強くもなってきている。インターネット上でネタにされたことにより有名になった漫画も出てくるなど日本の漫画は今大きな転換期を迎えようとしている。(ようにみえる。)
以上が、漫画の歴史である。アニメの歴史はまた次回にしましょう。理由は、書いている私がとても疲れたから、それに、パソコンの長時間の使用はドライアイなどの症状が発生するから程々にしないといけません。
長い記事になったことをお詫びします。
では次回に会いましょう
今回は、前回と引き続き日本の漫画とアニメについて考察したいと思います。
最初に調べなければならないのは、日本の漫画・アニメの歴史からである。
調査結果は↓の通りである。
滑稽な絵での漫画は平安時代の絵巻物「鳥獣人物戯画(鳥獣戯画)」が日本最古といわれている。(絵巻物は現代の漫画と繋がる部分があると聞く)
その後、印刷技術の発達と町人文化が生まれたことにより、江戸時代に戯画や浮世絵が生まれた。
幕末・明治では、1862年に、漫画雑誌の『ジャパン・パンチ』というものが横浜居留地(政府が外国人の居留及び交易区域として定めた一定地域のこと)で発行され、人気であった。この影響で日本の新聞も漫画を掲載するようになり始めた。、また、開国のより欧米の諷刺雑誌を入手できるようになり、これらを模倣することで日本の漫画は発展していった。
1877年には明治時代を代表する漫画誌『團團珍聞(まるまるちんぶん)』が創刊された。
日本初の連載漫画は、『團團珍聞』に連載された田口米作の『江の島鎌倉長短旅行』(1896年)で、特定のキャラクターによる一貫したストーリーを描いた最初の漫画である。
その後、日本漫画界には、北沢楽天、岡本一平などが現れ、日本漫画の発展や現代の日本の漫画に繋がる要素が作っていった。
1932年には、近藤日出造、横山隆一、杉浦幸雄ら二十代の若手漫画家が、「新漫画派集団」を結成した。彼らとその弟子は、第二次世界大戦後の漫画界の中核を成す存在となっていく。
1930年代には、講談社の『少年倶楽部』他の子供雑誌で連載された『のらくろ』『タンクタンクロー』『冒険ダン吉』などの子供向けの人気漫画が単行本化され、ベストセラーとなった。
また、新聞や雑誌で連載された主流漫画とは別に、赤本と呼ばれる漫画本も出てきた。これは、駄菓子屋やおもちゃ屋の店頭で販売されていた。(赤本の由来は、赤インクの多用のため)
しかし、日本が第二次世界大戦に参戦すると、情報局による規制や用紙不足により、日本の漫画産業は一時期衰退していった。
第二次世界大戦後に、手塚治虫が「新宝島」を発表した。この漫画は、映画的な構図と漫画固有の記号性を合わせ持った表現技法を定着させた。後に手塚の手法は日本漫画のデファクト・スタンダードとなっていった。
昭和50〜60年代に入ると漫画界が大きく動き出した。まずは、1959年、史上初の週刊漫画雑誌「週刊少年サンデー」・「週刊少年マガジン」が創刊し、1963年には「週刊少年キング」が、68年には「週刊少年ジャンプ」、69年に「週刊少年チャンピオン」が創刊、いわゆる少年誌5大誌時代に突入した。
一方で、1950年代、手塚治虫の影響を受けた多くの漫画家が現れた。1960年代は石森章太郎(仮面ライダーシリーズ・サイボーグ009)、赤塚不二夫(天才バカボン)、藤子不二雄(藤子・F・不二雄と藤子 不二雄Ⓐのことである)らの作品が大ヒットした。また、さいとう・たかを(ゴルゴ13の作者)の登場により、これまで子供の読み物とされてきた漫画に劇画など大人向けの作品が登場し、購買層の拡大につながっていった。
1980年代には、手塚治虫の「鉄腕アトム」などのアニメが海外で放送されていったことにより、日本の漫画が海外へ輸出されるようになった。
そして、平成に入ると、時代の変化に合わせて取り扱う漫画のジャンルも拡大し、発刊される雑誌も大幅に増えていき、情報雑誌と複合した漫画雑誌も生まれてきた。
また、同人誌や2次創作、ウェブコミック(ウェブ漫画、インターネット上で公開する漫画)の文化も発展し、メディアミックスの関係性も強くなっていった。
一方で、少子化や携帯電話の普及などにより、漫画に興味を持たない、読まない子供が増えた。これにより、古くから続いてきた雑誌が休刊になったり、表現の自由との関係性などの問題も強くもなってきている。インターネット上でネタにされたことにより有名になった漫画も出てくるなど日本の漫画は今大きな転換期を迎えようとしている。(ようにみえる。)
以上が、漫画の歴史である。アニメの歴史はまた次回にしましょう。理由は、書いている私がとても疲れたから、それに、パソコンの長時間の使用はドライアイなどの症状が発生するから程々にしないといけません。
長い記事になったことをお詫びします。
では次回に会いましょう





